2002年度6年生作文

「6年生の試合でうれしかったこと、心に残ること」
稲垣 裕太
 うれしかった事は、IBA大会で優勝したことです。
なぜかというと、関西選手権大会という、大きな大会で優勝したかったからです。
それと、6年生で初めての優勝だったし、優勝は、4年生の最初だったし、その大会は18チームぐらいしかいなかった。
だから、この大会で優勝できて、うれしかった。
もう1つ、富田林市長杯で、美加の台ファイターズに勝った試合がうれしかった。なぜかと言うと、前の練習試合で、ぼくが投手で9点も取られて、この試合では完封できたからです。
心に残ったことは、平野産経杯の準決勝の南松ファイブスター戦です。 なぜかというと、9月ごろに試合をやった、5対0で勝ったのに、負けたからだ。
それとそのときは、ピッチングの調子が悪かったし、ヒットも打てなかったからです。
6年生も、もう少しなので、くいなく、全力でやりたいです。
蓮井 一希
 ぼくが6年生の試合でうれしかった事は、IBA関西選手権大会の決勝戦でバントを、4回中3回成功できた事です。
相手は山本クラブだった。その試合に 優勝できてすごくうれしかった。自分がやったバントで、ランナーを進めてそれで古庄君と置田君が、ランナーをかえした時はすごくうれしい。
ぼくは2番バッターだからランナーがいれば送ったり、いなければ塁に出るようにがんばりたい。
心に残った事は、6年生になって、金メダルを2個、銅メダルを5個とれた事です。
あと3ヶ月しかないから最後まで練習をしてうまくなりたいです。
あと、西陶器ジュニアファイターズと竹城台少年野球のチームともう1回戦って勝ちたいです。
試合もちょっとしかないから、がんばりたいです。
渡鍋 和輝
 ぼくが一番心に残った試合は、赤峰グランドで試合をした日です。
その日は コーチが仕事で休みで代表が来てくれました。
その試合はぼくはエラーもしなかったし、ヒットも打ちました。みんな相手ピッチャーから打てませんでした。
でもぼくの2打席目ツーアウト、ランナー3塁で、バッターがぼくでした。
ぼくはとにかく塁に出ようと思いました。真ん中に球がきて、ぼくはそれを打ちました。
サードの頭の上をぬけてヒットになりました。なんとか先制できてうれしかったです。
その試合は1時逆転されましたがその後すぐに逆転して、勝ちました。
ぼくは、その試合は、すごくうれしかったし、すごく心に残りました。
ぼくは、5年生まではあまり心に残る試合はありませんでした。
でも、6年生になってからは心に残る試合が増えました。
あともう少しの6年生を卒業まで、一生懸命頑張りたいと思います。
置田 圭亮
 今年一番心に残る試合はIBA関西選手権大会です。
決勝戦は山本クラブです。ぼくは、4番ファーストだった。ピッチャーは稲垣君だった。
相手のピッチャーはとても打ちやすかった。みんなも決勝戦だから、気合が入っていた。
ぼくはとても好調だった。打線も好調でピッチャーの稲垣君も好調だった。
みんなが打ったりしたから試合は、勝てた。6年生になって大きな大会に優勝できてうれしかった。
決勝戦は1回戦とはぜんぜんちがうしベンチはとても大きな声で応援してくれたので全力でプレーできた。
今年は決勝戦が2回できた。それに2つとも優勝できた。
けど、3位もあった。けど、いつもチームのみんなは がんばっていた。負けた時はすごいくやしかった。
今年はいろいろなことがあった。とくに決勝戦は思い出にのこった。
西村 康太
 ぼくはこの1年間、すごくうれしかったことがあります。
それは、ホームランが打てたことと2回優勝できたことでした。
初めにホームランを打ったのは6年の3月17日ぐらいで、ランニングではなく直接入ったのがうれしかったです。 その後もホームランを打って今では7本です。もう試合は少ないけどまた打ちたいです。
 6年生で初めて優勝したのは、IBA大会でした。ぼくは準決勝でランニングホームランを打ちました。あの時はすごくうれしかったです。このときの試合はけっこう大差で勝ちました。
そして次に優勝したのは堺市長杯でした。ここで、ぼくはホームランを打ちました。同点ホームランだったからとてもうれしかったです。2回優勝してうれしかったです。
古庄 諒
 やっぱり6年の試合でうれしかったことは、IBAと堺市長杯の優勝だ。
IBAは、初戦は危なかったけど、2回戦からは、大量得点で勝ち進み、準決勝、 決勝までもが点差が大量に空き、楽な試合だったが優勝はうれしかった。
堺市長杯の中で一番苦しかったし心に残る試合は西陶器との対戦だ。
あの時勝ったのは、今思えば奇跡だろう思う。なぜなら、むこうが10本以上もヒットが出ているのに、1点しか取られていないことが奇跡だった。
こっちは、数本のうちホームランで取った1点だったから、これも奇跡みたいだった。
抽選勝ちで終わったが、本当に、あの試合が6年の中で一番苦しかった試合にちがいないだろうと今思う。
その後も、少ない点差で準決勝、決勝も勝ち、優勝になった。
IBAとは全く逆の少ない点で、その分、優勝がうれしく思えた。
あと少ない大会でもどんどん優勝をねらっていきたいです。
大野 弘貴
 ぼくはこの日の試合に先発で出た。 セカンドで試合に出た。
セカンドで出たのはひさしぶりだったから緊張した。守っているときは1回だけフライが飛んできてそれをとった。ぼくの打席がまわってきた。1球目おそい球を投げるピッチャーだからおそい球がくるのはわかってたけどボールがくる前にバットをふってしまった。2球目はタイミングをおくらせていった。そしたらちょっとタイミングがおくれてライトにボールがとんだ。そして1塁に向かって走った。アウトだった。でもそれでだいたいタイミングがあった。2打席目に1球目に外かく高めにきてそれを打った。そしたらセンターにボールが飛んだ。走って1塁についたら武田監督が 「ナイスバッティング」と言ってくれたのでうれしかったし、ひさしぶりにヒットを打てたのもうれしかった。そのあと交代してその試合は勝った。うれしかった試合だった。
 今楽しみにしているのは3月に行く宮崎大会だ。早く行きたい。
林 厚太
 練習試合でぼくは、スタメンに出た。9番セカンドで出た。うれしかった。活躍して、試合に出たかった。
この試合は、いいチャンスだと思った。ぼくは、ヒットがあまりなかったから、緊張していた。
そして、試合が始まり、セカンドについた。ボールが飛んできた。ぼくは走って取った。うれしかった。
次はバッターだった。緊張していた。1球、2球とストライクが入った。次に低い球が来たから、ふった。そしたら、センターに飛んでセンターが落としたから、3塁まで行った。うれしかった。
でも、サードゴロで走ってしまった。ぼくはくやしかった。走らなかったら、もしかしたら、1点入ってったからだ。
そしてぼくは、交代になった。ぼくは練習が足りないと思った。あのときの打ったことは、心に残った。
これからも、もっと練習してうまくなりたい。
佐藤 浩一郎
 ぼくが一番いんしょうに残っているのは、堺市長杯とIBAの決勝戦です。
 IBAの決勝は山本クラブと戦いました。その時は、打げきはそこそこよかったのですが、初めての決勝戦でエラーを2つもしてしまいました。試合は7対0で優勝そのときはすごくうれしかったです。
 堺市長杯の決勝の相手は高石スワローズでした。 その時は、打撃はあんまりよくなかったのですが。
守りの時は、けっこう飛んできて、全部さばけました。試合は1対0で勝ちました。
2度目の優勝の時は、夢かと思うぐらい、うれしかったです。
一番うれしいのは、コーチたちにほめられた時か、優勝したときです。
ジュニア金剛に入ってよかったです。
和田 龍彦
 12月15日 高石大会3回戦の大浜ビッグボーイズの試合で出塁したときがうれしかった。
ツーストライクに追いこまれたので、次の球はストライクゾーンから少しはなれていても、思いっきり打った。
なんとかバットに当ったがサードのボテボテだった。
だが、サードが、ファーストにびみょうな球を投げたのでファーストはぬかした。ぼくは、本気で走った。
ライトがカバーしてセカンドに投げたらいけないので本気で走った。
そしたら、ライトがカバーするのがおそかったのでツーベースになった。
だけど、ぼくは、そのことを知らなかったので二塁まで全力で走った。
そのあとボールが二塁に来ていなかったので、相手がエラーしたとわかった。
その試合はライトにボールが飛んできたりしたのでうれしい試合だった。
重本 淳
 ぼくが、一番うれしかった事は、河内長野会長杯1回戦、藤井寺南ビクトリーズとの試合で、ホームランを打てた事です。
打席に立った時、とにかく塁に出ようと思いました。初球は見送り、2球目を思いっきり振りました。ホームランでした。ベースを回りながら、とてもうれしい気持ちになりました。何回でも打てるといいなと思いました。
 ぼくが、一番心に残った事は、IBA大会で優勝できたことです。決勝戦の相手は山本クラブでした。稲垣君は、ノーヒットにおさえ、蓮井君はバントを何度も成功し、置田君は、チャンスにヒットを打ちました。3人は、個人賞をもらいました。
メダルをかけて、みんなで写真をとってもらった時、とてもうれしい気持ちになりました。
何回でも優勝したいと思いました。 ホームランを打ったり、優勝できたりするためには、みんなの力と練習をたくさんする事が必要だと考えました。
つらい事もあるけど、楽しい事もいっぱいあるのでやっぱり野球がすきです。
安藤 宗一郎
 ぼくは、6年生の試合の中で一番うれしかった事は、試合に出られたことです。
 6年生の始めは、「今年は試合に出れるか。」とちょっと不安でした。けどがんばって、試合に出る!という気持ちも少しあった。
夏になると、たまに試合で出してもらえるようになった。試合に出た時はうれしかった。
とくに、試合に出てる時フライが来て取った時は、めっちゃうれしかった。
堺市長杯の準決勝で猛打賞をした時は、めっちゃうれしくてたまらなかった。
守備の時、ボールも飛んできて何球か取った時もうれしかった。
けどその試合で一番うれしかったのは、閉会式で準決勝でピッチャーだった人と友達になったことがうれしかった。
そして、野球の試合に行って、たまに会うと、相手の方も覚えていて笑ってくれる事がちょっとうれしかった。
川崎 太亮
 うれしかったことは、10月26日に、泉佐野メッツというチームとの試合で、ぼくは代打で出た。
そのとき、センターにぼくは打ったら、センターがトンネルをした。
それでランナーコーチが回れ回れといったので、思い切りホームベースまで走った。
ホームでセーフになった。そして、その結果は、ランニングホームランになった。
ぼくはうれしかった心に残ることは、ぼくは、2回優勝したうち1回は休んでいた。
でも、次の優勝したときは、ぼくも、ベンチでおうえんしていた。
決勝の最終回、2アウトになって、最後、レフトにフライがあがって、その時は、うれしかった。
そして、レフトがフライを取った時、すごくうれしかった。
優勝をぼくは1回も経験していなかったけど優勝できてすごく心に残った。

稲垣 裕太
7月24日水曜日から全大阪で東京にいった。東京に着いたのは木曜日の朝の6時ぐらいだった。
その日は、東京のチームと試合をした。その試合は、8対7で負けた。そして、玉川旅館という所にとまった。
次の日は、開会式に行った。 開会式が終わったら、ホテルみたいな所で昼ごはんを食べて、最上階で景色を見た。
次の日は、オーストラリアチームと試合をした。試合には途中からセカンドで出た。打席は回ってこなかった。
その試合は7対1で勝った。次の日は 美山イーグルスというチームとやった。試合はライトでスタメンだった。
打席は2回、回ってきた。2打席目にピッチャーフライをエラーして、塁にでた。その試合は4対1で勝った。
次の日は沖縄のチームとやった。その試合はセカンドで出た。打席は1回だった。四球だった。
その試合は7対1で勝った。そのつぎに試合をしたそ試合は出なかった。だけど4対1で勝った。  
その日にバスで帰った。帰る途中で東京タワーによった。ご飯はラーメン食べた。
そのあと、おみやげを買って、大阪に帰ってきたのは月曜日の朝6時ごろだった。それで家にかえった。
垣本 和人
 7月27日(土)に名古屋から石浜ボーイズが来ました。去年も来ていたので、会えるのが楽しみでした。
 まず、午前中は練習試合をしました。ぼくはキャッチャーをしました。
相手チームは去年より、すごくうまくなっていました。ぼくらは、試合には5−4で勝ったけれど、とてもあぶなかった。
練習試合の後にみんなで、バーベキューの時にぼくは背番号7番の人となかよくなりました。
石浜ボーイズのコーチがビンゴゲームなどのゲームをしてくれました。ぼくらは5等で時計をもらいました。
これからも、どこかで会えたらいいなと思いました。とても楽しい1日でした。
蓮井 一希
 7月28日に、愛知県の石浜ボーイズと練習試合をした。ぼくは、手をけがをしていて、試合に出れなかった。
あと、置田君、稲垣君、古庄君がいなかった。ぼくは、コーチにサインを出せと言われた。
やるのはかんたんと思っていたけれどかなりむずかしかった。  試合はぎりぎりで勝てた。
けど、全学年だと1勝3敗だった。そのあとバーベキューをした。お肉はおいしかった。
そのあとビンゴゲームをした。ぼくは、4等があたって、時計だった。そして、まとあてもやった。
ドラえもんのキーホルダーをもらった。石浜ボーイズの人と仲よくなれてよかったです。
そして、最後に、ならんで、あいさつをして見送りをしました。すごくいい思い出ができました。
とても楽しかったです。
渡鍋 和輝
 ぼくの合宿のテーマはとにかくたくさん練習して一つでも多く身につけて進歩して帰りたいなぁと思っていた。
ぼくは守備よりバッティングがだめだから、 2試合でせめてヒットを2本は打ちたいなぁと思っていた。
でも1試合目も2試合目もポテンヒットみたいなんが1本ぐらいでヒットらしい当たりのヒットがなかったのがくやしかった。
練習試合はぼくにとってはすごく大切だと思う。
レギュラーじゃなくてふだん試合に出れない人は練習試合で試合の流れを感じたり試合に慣れていけると思う。
レギュラーの人は練習試合では試合でできないことを試すところだと思っている。
 たとえば、セーフティバントとかエンドランとかを試していって自分に自信をつけたらいいと思う。
今までこれだけ練習してきたんだからその成果を出せたらいいと思う。
古庄 諒
 今のジュニコンの弱点は、じょばんの立ち上がりだと思います。
副キャプテンのぼくは、最初、最後の集中力があれば、優勝をねらえるチーム!僕はそう思います。
それと、強いチームと戦い、勝ったとしても次の何ともないチームに負けるのは、強いチームをたおした!
という安心感それが油断につながると思います。  
だからこそぼくは集中力というものがどれほど大事か、合宿、これまでの戦いで十分にわかってきました。
だからこれからは、試合が始まり、試合が終わるまで一瞬たりとも気を抜くことをやめことにします。
これからも練習を怠らず、日々の練習を試合に発揮したいと思います。
置田 圭亮
 8月3日(土)から8月4日(日)まで、1日目、朝7時集合スーパーの横、7時30分出発、9時30分ぐらいに、
グランド到着。1試合目、レギュラーは、サードの渡鍋君とピッチャーの稲垣君とキャッチャーの古庄君だけだ。
3回で4番の重本君に代わって、ぼくだ。2球目にぜっこう球が来た。
ヒットやと思っていたら、ランナーコーチが、何も言ってくれないので、レフトを見ると、
レフトがボールを持っていたのでベンチにもどった。1回2回に9点とられて、負けだ。
2試合目、最初に、ピッチャーを言った。
3点とられ、最後の回、ピッチャー 稲垣君、なんとなか、15対9で勝った。
それから、湯浅城にむかった。15分くらいで、着いた。最後だけど、思い出に残った。
西村 康太
 ぼくは8月3日から4日まで野球の合宿に行きました。
着いてアップをして,すぶりして、練習試合をしました。
ぼくはベンチでした。相手のチームはすごく打ちました。結果はぼろ負けでした。
ぼくはとちゅう出場して打席結果はフォアボールとヒット1本でした。
1試合目は負けましたけれど2試合目はどっちのチームも強かったです。
大野 弘貴
 ぼくは今ライトを守っている。ライトは、まえ守っていたセカンドと動き方がちがう。
はじめの方はカバーの位置とかをよくまちがえていたけど、今はもう、わかるようになってきた。
 ライトはむずかしい。とくにファーストをアウトにするときがむずかしい。
投げる前の速い動作と、ボールの速さがいるからむずかしい。
たとえば、ゴロがきたからあせってエラーすることがある。
ボールをうけてはやく投げようとし、ぼうとうすることだってある。
ぼくはいつもそんなことをなくすために、いつも練習をしている。
練習を楽な思いをして、試合でエラーするよりやっぱり練習の時しんどい思いをして、
試合でちゃんとボールを取れたらいいと思う。
3年間野球をしてちょっとはうまくなったと思う。
林 厚太
 ジュニア金剛にはいるとき6年の練習を見ていたら、フライもガッチリとって、
ゴロもガッチリとっててうまいもんだなと思った。
めちゃうまかった。見てたら、ぼくにできるのかなと思った。
しばらくして、チームにはいった。あまりついていけなかった。
1年たっていくうちに最初よりは、うまくなってると思った。
そしてレギュラーになるために家で弟とかと練習した。
そしてもう練習についてついていけるようになっている。
まだバッティングが駄目だったから、ずっと練習しっていた。
そしたら、少しづつ当っていた。遠くにも飛ばせるようになっている。
でも試合に出たとき、きん張してぜんぜん打てない。
あとは、きん張がなくなったり、バッティングとかと良くなるだけだ。もう、ばてないようになった。
もっと練習してレギュラーをめざす。6年卒業しても、野球をやる。
石田 翔太
 ぼくは、小学校最後の6年生になった時、絶対にけがをしないように気をつけようと思いました。
それで7月位になると、もうけがはしないかなと思いました。
でも8月10日土曜日セカンドのけんせいの練習をしていた時、うけそこねて、指に当って、
ねんざをしてしまい、またけがをしてしまったなぁと思って、ショックでした。  
これからは、危険なことはやめ、けがをせずに野球をやっていきたいと思いました。   
だから、けがをしたら、好きな事ができないのがわかっていたのに、それをやってしまって、
またやったと思い、野球をしながら気をつけていきたいと名と思いました。
もうけがをしないように、がんばりたいです。
和田 龍彦
 8月3日合宿に行った。10時くらいに和歌山に着いた。そして昼めしをくって、練習試合が始まった。
最初の試合はボロ負けだったけど、次の試合はボロ勝ちだった。ボクは出たけど打てなかった。
試合後ストレッチをしスイカを食べ湯浅城に向かった。すぐおふろに入った。
おふろから出たらすぐにごはんだったけどスイカが多くてあまり食べれなかった。
そしてふとんをしいてトランプをした。
トランプをし終わってねて朝になって重本君ににらまれて朝食を食べに行った。
そして朝食を食べて海に行き最初はあさい所で遊んでいたけどあとの方は古庄コーチに沖の方まで行かされておぼれそうになった。
 湯浅城に帰ってカレーライスを食べて帰る用意をしてバスで帰った。
佐藤 浩一郎
8月19日の夜におじいちゃんに野球のことを質問してもらいました。
 「守るのはどこが好き。」   「ショートとレフトがいい。」  「何番打ってる?」     
 「8番」と質問されました。 山口のおじいちゃんに話すと 「平日にれんしゅうするのか?」
「いやっ。自分ですぶりとかする。」 「すぶりだけ。」と言ったので 「ほかには走ったりするけど・・・。」と思った。
おばあちゃんに聞くと 「バントがうまい人がすきやな。ばあちゃんは。」と言ったのでぼくは
「バントはあまりうまくないし、難しいもんな。」と思いました。だから 「バントって難しいで。」と言うと
「あいてを見て間にころがすの難しい?」とおばあちゃんが聞きましたので
「プロとか簡単にやるけど、ぼくは難しいけど。」 「浩ちゃん、何番バッターなん?」と聞かれたから、
「ヒットは打てないけど8番バッター。」 「ヒット打てるようにがんばらないと。」 言われた時ちょっとショックでした。
重本 淳
 7月25日、甲子園球場に巨人対阪神戦をお父さんとお兄ちゃんと見に行きました。
巨人は負けましたが、すごい試合でした。
7月26日、藤井寺球場に高校大阪大会をお母さんと応援に行きました。
浪速高校は負けましたが、いい試合でした。
8月21日、甲子園球場に高校野球決勝をお兄ちゃんと見に行きました。
明徳が優勝したから、うれしかったです。いろんな野球を見て、ぼくは思った。
みんなどの人たちも、いっぺんにうまくなったんじゃない。
いっぱい練習をしたり、走ったりしたから、すごい試合ができるんだな。
ぼくも、野球が好きなので夏の練習はしんどいけど、やっぱりがんばってうまくなりたいです。
9月1日のIBA大会は、ぜったい優勝したいです。
安藤 宗一郎
 ぼくは、7月に名古屋のチームと試合をしたことが頭の中にのこっています。
朝に野球の試合をする時、ちょっと体が重たくてだるかった。
けど野球が始まるとそのだるさもましになった。ぼくは最初はピッチャーだった。
けど、ぜんぜんだめだった。ぼくは「あんまりピッチャーにむいていないなー。ノーコンやし。」と思った。
そしてぼくはセンターに変わった。「今度はがんばろう。」 と思いながら行った。
センターにボールが飛んできて「ワンバウンドでとろうか。」と思ったけど、
ノーバンをとりに行ってしまったので頭の上をこされた。 「思ったとおりにすればよかった.」と後悔した。
1打席目は四球、2打席目は ショートゴロだった。
試合は勝ったけど、ぼくはまだまだやって「もっとガンバラな。」と思った。



この1年間でつらかった事や良かった事 渡鍋 和輝

 この1年間で1番つらかったのは東住吉大会の仁徳戦でした。
前の日の夜、しんどくて試合の日もしんどかった。
1打席目ヒット性のあたりがアウトになってしまいました。
あの時、しんどくなかったら、出塁できたのに、しんどかったから、おもいっきり走れなかった。
だからあの時はヒットでもアウトになるからとてもつらかった。
守備でも一つミスがあった。
三遊間のゴロをショウトの前まで取りに行って途中でやめたのがだめだった。
ショウトはぼくが取ると思ってエラーした。あの時はぼくが取ればよかった。

良かった事は、この仁徳戦で最後まで試合に出られた事が良かった。
集中はしていたけど、しんどいからすぐ、集中力が切れた。
それでも7回までがんばった。チームが勝てたから良かった。
仁徳に勝てたうれしさでその後のランニングではあまりしんどくなくかってきた

うれしかった事くやしかった事 置田 圭亮

 5年生になってうれしかった事は、西陶器ジュニアファイターズの時にピッチャーがいけた事です。けど試合は、負けてくやしかった。でも、とてもいい試合だった。もう一回投げて勝ちたいです。それと、仁徳ヤンガースに勝てた事です。ヒットは打てなかったけど、勝ててうれしかった。次は、山本クラブに勝てた事です。 5年生になってくやしかった事は、西成銀河に負けた事です。いい勝負だったけど、大逆転で負けました。次は抽選会で選手宣誓をできなかった事です。
次は三原台シャークスの時、ホームランがアウトになった事です。けど勝ってうれしかった。相手は、とても強くなっていた。とてもびっくりした

1年をふりかえって 蓮井 一希

 ぼくが5年になって一気に練習の量がふえた。特にきつかったのは、「ノック」だった。
ショウトからセカンドにかわって外野に飛んだ時、どこに行けばいいのかとか、いろいろわからない事があった。けどコーチやみんなが教えてくれて、けっこううまくなった。
二番目にきつかったのは、「ダッシュ」だった。
前までは何回走っても速い人に勝てなかった。
5年になってからは、足の速い
渡鍋」や「古庄」や「安藤」他にもいっぱいいる。
いっしょに走っていると追いつこうと思って走った。
ちょっと負けたけどこれからは、ぬけるようにがんばる。
5年になって二人もやめてしまった。けど、みんなで乗り越えて城東大会で銀メダルをとれた。今、東住吉大会で準々決勝までいっているから金メダルをとりたいです。
副キャプテンでキャプテンが休んだときキャプテンやって大変だった。

これから後1年がんばりたいです。

1年間でうれしかった事悔しかった事 西村 康太

 ぼくは、1年間でうれしかった事と悔しかった事がいろいろあります。
うれしかった事は、東住吉大会で仁徳ヤンガースに初めて勝った事と、ヒットを打って打点もついた事です。それにノーアウト、ランナー、二三塁を二回もしのいだ事です。
まず仁徳から
2点を取った時は古庄君が三ベースを打ってぼくが二ベースを打って1点が入って垣本君がゴロを打ってぼくは三塁へ進み佐藤君がヒットを打って、ぼくはホームをふみ2点が入りました。
稲垣君が完封でおさえたので
20で勝ちました。初めて勝ったからとてもうれしかった。
 くやしかった事は城東大会の決勝で21で負けました。
あと
1点差だったからくやしかったです。だけど118チームの中で2位だったからうれしかったです。旭区の大会で山本クラブに54で勝ちました。ぼくは打点つきヒットを打ちました。
だけど準決勝で西成銀河に負けました。これもおしかったからくやしかったです。
来年はホームランを打ちたいです。

1年間でうれしかった事悔しかった事 古庄 諒

 ぼくのくやしかったことは、今年初めての5番になって、素振りもろくにせえへんかったから、西成銀河の時に3三振だった事だった。
それと他の大会でもあともうちょっと、というところで負けることだった。

うれしかったことは、いっぱいある。あのくやしかった事をバネにして、素振りを一生懸命にやったら、ちゃんとその成果が出て、東住吉大会で住吉フレンズからホームラン、次の対戦相手の原山台シャークスからもホームランと二試合連続のホームランと一気に垣本君とならんだっことだ。
それと一番うれしかったのはあの仁徳ヤンガースから三塁打を打ったことだ。
それに続いて西村君が二塁打で
1点、垣本君がおくって、西村が三塁の場面で佐藤だ。それでヒットを打ってそれが決勝点となり20で初めて仁徳ヤンガースに勝ったのがうれしかった。

野球

大野 弘貴

 ぼくは、この3年間いろんな事があった。コーチにおこられたり、どなられたり、佐藤にレギュラーをとられたり、いろんな事がある。
でもこれは、ぼくが悪いと思う。城東大会のときぼくは、レギュラーをだれにもとられないと思って全然素振りをしていなかった。だから佐藤にレギュラーをとられたと思う。
でも今は素振りをしている。夜の9時半から10時まで毎日お兄ちゃんとやっている。けど何でかわからへんけれどあんまり打てない。
 いつもぼくは走るのがおそい。練習が終わってこの日も川崎の横で走っていた。2周目ぐらいの時、古庄コーチが、「大野おまえはそんなとこにいてるんとちゃうぞ。もっと前にいけ。」と、言われて気合が入ったのか、べべからいっぱい抜かして稲垣の横まで来た。
ぼくは自分で、やればできると思った。これから努力して家での練習をがんばってレギュラーを絶対取り返したい。

野球で楽しかった事やかなしかった事 岡澤 佑多

 5年で楽しかった事はフリーバッティングだ。
ぼくはプレッシャーに弱いので試合の時いっつもきんちょうしている。だから試合の時打てない。
だからこそバッティングが楽しいプレッシャーに負けないように声を出す練習もしている。

5年の時は一番バッティングが多かったのでもっと楽しくなった。
練習はきついけれど、いつか役に立つと思えばがんばれる。
これからもがんばっていきたいと思います。

1年をふりかえって 石田 翔太

 ぼくはこの1年間,ケガがいっぱいあって、練習にあんまり行けませんでした。
だから、試合にもちょっとしか出られなかったので、今年はもっと試合に出られるようにがんばりたいです。だから今年ケガがないように注意をしたいです。

 それと話は変わって、長嶋一茂さんと写真を写した事と、甲子園球場で行進をした事がよかったです。
そしてつらかった事は夏の練習がつらかったです。
そして、今年は去年よりも、もっとがんばりたいです。

1年間の野球で思った事 林 厚太
 ぼくは、最初は、へただったけど、今では、ちゃんとボールを投げれるようになった。
うれしかった。バットでボールをあてれるようになった。
練習の時は、きびしかったけど、うまくなれるからいい。
ボールをエラーや見のがしの三振は、くやしかった。でも、今年はバットでボールをあてたい。それとボールはエラーしたくないと思った。それと練習をきっちりやりたい。
それと今年は試合にいっぱい出たい。
そして打ちたい、ボールをちゃんととって、ちゃんとボールを投げる。
1年間 佐藤 浩一朗
 ここ1年間で野球がうまくなったと思います。
それは、武田コーチと古庄コーチと岡澤コーチのおかげだと思います。
夏のあたりのバッティングは良かったけど、このごろは、なぜだかわからないけど良くない。
でも、この前の仁徳戦にツーアウトでランナーがサードにいた。
ぼくは仁徳の初打席だったから、きんちょうした。インコースの球はきらいだけど、ストライクだったから思いっきり打った。すると、レフト前ヒットだった。うれしかった。すっごくうれしかった。その試合は稲垣君が完封して
20で勝った。またまたうれしかった。
一回でも多く優勝して、一回でも多くホームランを打ちたい。
西陶器にも大阪ゴールデンファイヤ−にも勝ちたいです。
武田コーチと古庄コーチと岡澤コーチこれからもよろしくお願いします。
一年をふり返って 重本 淳

 ことしの初めからひじをこわし試合に出られませんでした。
4月ごろになりひじが治って思いっきり野球をする事ができました。それからキャッチャーで試合に初めて出たときとてもうれしかったです。
それから試合に出てほめられたり、おこられたりしましたが、初めて試合に勝った時は、最高の気分でした。
少しずつ盗塁をさすタイミングもわかってきましたので、来年盗塁をどんどんさしたいと思います。そして稲垣君と置田君のピッチングをうまくリードしたいです。
来年は、東住吉大会で優勝したいです。6年になっても一生懸命練習し、がんばって何回も優勝したいです。

一年をふり返って 安藤 宗一郎

 今年はとても練習がきつかった。4年の時は5年と比べたらまだましだと思った。
5年生になってまだ1ヶ月がたたないくらいの時は、とてもしんどかった。
その時は息がしにくいぐらいしんどかった。2学期ごろになって,だいぶ暑い時期になっていたころは、とてもへたっていた。ぼくは、その時、夏よりも冬の方がいいなぁーと思った。秋ごろになって、ちょっと夏よりはましだなぁーと思った。けど練習はきびしいなぁーと帰りに思ってた。
夏のノックよりも秋のノックの方がいいなぁーと思った。冬になってちょうど1年がすぎたーと思った。いつもは帰っている時は手がつめたいなぁーとちょっと思っただけやったのに、12月には行って耳もつめたいなーと思った。
今年は初めての夏がとてもきつかったと、とても思った。

今年のうれしかった事くやしかった事 稲垣 裕太

うれしかった事は、城東大会で銀メダルをとった事と、最優秀選手賞をとった事と、新春杯の抽選会で選手宣誓をできた事と、東住吉大会で仁徳に勝った事。
くやしかった事は、旭区大会で西成銀河に負けてメダルを取れなかった事と、平野産経杯で西陶器に負けた事と、城東大会で仁徳に負けて金メダルを取れなかった事です。


親子大会
小金台小  5年 和田  龍彦
親子大会はすごく楽しかった。最初の試合だと、球が2球飛んできた。
1球目は受けてファーストに投げたので楽しかった。
打順が回ってきた。ファーボールで一塁に出た。盗塁しようと思ったがアウトだった。
2回目の打席はアウトでむなしかった。
また、すごくくやしかった。 次に2試合目をした。一打席目はやはりファーボールだった。そして2盗塁をした。
次の回に山上コーチにホームランを打たれた。 やはり、ピッチャーが本当のピッチャーではないからだ。
また、だれかのおじさんにホームランを打たれた。場所はプールの中に入れた。
どこのおとうさんもすごいなぁと思った。
初めての親子大会、とても楽しくこどもの日をすごせました。
来年はひそかに練習をして、ホームランを打ってみたいなと、 一つ夢を増やした親子大会でした。
ありがとうございました。



親子大会の楽しかったこと
寺池台小  5年 重本  淳
5月5日、子どもの日はよいお天気でした。ぼくはおとさんと参加しました。
和田君のおとうさんはピッチャーでカーブをかけたりしたからとても楽しかった。
ぼくのエラーで点がはいった。とてもくやしかった。 「来年はエラーをしないで、盗塁をさすぞ。」と思った。
親子大会は楽しかったけど本番の試合に出られるように、いっしょうけんめいがんばります。
これからもよろしくおねがいします。

重本 彰夫
晴天に恵まれ、日頃なかなか会えない親同志が集合し、子供達と試合した事は、大変楽しく有意義な一日でした。
予想以上に体のアチコチが数日間痛く、改めて運動不足を感じ、今後更に練習へ参加したいと思いました。


◎ どんどん参加をお待ちしています。子供たちと一緒に練習参加して一日を過ごしてください



親子大会の日
小金台小 5年 佐藤  浩一郎
 親子大会の日7時に起きて、ナットウごはんを食べた。きがえて、
集合の所に集まった。それから高辺でネットをはって、貴志にいった。
貴志ではベースランニングのタイムとエントウをはかった。ベースランニングは18秒ぐらいだった。
エントウは45メートルだった。
それから高辺にもどって、10時ぐらいからお弁当を食べて、親子大会をした。
ぼくのお父さんは一打席目はショートゴロだった。
2打席目はショートのエラーだった。ぼくは(ヒット打ってよ。)と思いました。
柿本のお母さんはヒットを打ったからすごいなぁと思った。2試合目は強かったと置田がゆっていました。
その試合はぼくはスリーベースヒットを打ったけど、本塁でアウトになりました。
その試合は1対0で勝ちました。それからお菓子をもらって食べたあとノックをしました。たのしかった。おわり



親子大会
高辺台小 5年 渡鍋  和輝
土曜に親子大会をした。いちばんうれしかったのはお父さんを塁にださなかったのがうれしかった。
ぼくが打った打球がライナーで 和田コーチの足に当たった。球がおそくてタイミングがあっていなかった。
ぼくはあのイッパツでスカットした。 せっかく塁に出たのにシートゴロでファーストアウトになった。くやしかった。
置田のお父さんの打った速い打球のサードゴロも処理した。 とちゅうでシートにかわった。
その時、三遊間にゴロがきて、ぼくがぎりぎり取ってワンバンドで一塁に送球したけど間にあわなかった。
その試合は勝った。 次の試合はぼくはリリーフでピッチャーにいった。2イニング投げてノーヒットにおさえた。
山上コーチにホームランを打たれると思ったけど、セカンドフライエラーだった。 はじめてピッチャーにいけてうれしかった。



親子大会のこと
寺池台小5年 林 厚太
 5月5日に野球の親子大会がありました。ぼくは、9番ライトでした。試合が始まって、相手がせんこうでした。
ぼくのおかあさんがヒットをうったからびっくりしました。そしてぼくたちのこうげきが始まりました。
そしてぼくがバッターボックスに入りました。 ぼくは、一打席目、ゴロを打って、アウトになりました。くやしかったです。
そして二回ウラぐらいまでして、ちがう親のチームと試合をしました。 相手のピッチャーはかめ谷のおとうさんでした。
一打席目、さんしんしてしまいました。くやしかったです。そしてこの回が終わりました。ぼくはライトの守びにつきました。
そして、うたれました。ぼくは、うけたと思ったらはねかえりました。くやしかったです。そして試合が終わりました。
ぼくは、バッティングを練習してうまくなりたいと思いました。



楽しかった親子大会
久野喜台小5年 西村 康太
ぼくは、5月5日に、親子大会に参加しました。
お兄ちゃんとおかあさんも、参加しました。最初はお兄ちゃんがいるチームとやりました。
お兄ちゃんはキャッチャーをやっていました。お母さんはライトをやっていました。
ぼくはファーストをやっていました。お兄ちゃんは一打席目ショートゴロでした。
だけどお兄ちゃんの足はすごくはやかったです。二打席目はライトオーバーのヒットでした。
お兄ちゃんの打ったながし打ちはすごかったです場所がいれかわってつぎのチームとやりました。
このチームにも勝ちました。五年のおやこ大会も終わりました。みんなと野球ができておもしろかったです。

母より
 親子ともども楽しませてもらいありがとうございました。OBの兄も久しぶりにジュニコンに参加できてよかったです。
五年の子供たちはやっぱり守備とかうまくなってるなぁと思いました。
(自分でやっているととてもむつかしものですね。)でもバットにボールが当たったので私もうれしかったです。



四年生の思い出
寺池台小学校5年生 置田 圭亮
ぼくは、四年生で、いちばん思い出になるのは、ピッチャーです。
はじめは、ぜんぜんわからなかったけど、いながき君が、おしえてくれて、とてもうれしかった。
それに、4年でメダルが3こぐらいとれたことです。
それに、ホームランボールも、もらえたけど、2ばん目に思い出になるのは、ちょっと走りが、はやくなったことです。
走るときに、ちょっとがんばって、ときどき、はすい君といっしょに走ることがあるから、はしるのがはやくなって、
今まで走るのが、にがてだったのに、ちょっとましになりました。


四年になっておぼえていることー
高辺台小学校5年生 渡鍋 和輝
四年になって一番あたまに残っていることは、自分で四ホーマーも打ったこと。
まずホームランを打てるなんて思っていなかった。
でも第一号センターの頭の上をワンバウンドでとびこえて転がっていった。
このホームランがまたホームランを打てるとゆう気をつよくした。
すべて大きな当たりではなかった、自分らしい足でかせいだホームランだった。
二こ目は金メダルを取ったこと、あの時はうれしかった。
最後のピンチはやばかった、ツーアウトランナー 一るい三るい、バッターは四番で三対0で勝っているところ、
決勝戦をかんぷうがちしたかった、それでサードライナー 一しゅんのはんだんでとびついた、とれた。
五年からはキャプテンなのでがんばる、おもいっきりプレーして金メダルを10個とりたい